自己満足、客観性ゼロの放蕩画業ダス。

大阪の看板屋 ネオサイン

え~、とかく世の中と人様の胸の中は

自分で思うようには、まいりません、

そりゃぁ、あちら様は、あちら様

そちらの方は、そちらの方の

ご都合や思惑などが

いろいろと、ございます、

そこで、このワタクシめの道楽と申しましょうか

このヘタの頭に「ド」がつくほど

周りの評価がわかっておりません、

だから、こうして、のうのうと

恥という漢字を知らずして

性懲りもなく、ここに、こうして、

ほら、「よく描けてるでしょ」

あ~ぁ、どうぞ、ご勝手に・・・

 

お客様は業者を自由に選択できますが、看板屋はお客様を、選り好みできるほど、

そんな世の中のしくみでは、ないようです、

そうです「お客様は神様」なのです、お客様あっての商い道

私達の口に食べ物を三度三度入れることや

その日、唯一の楽しみである一杯のビール

すべからく、お客様あっての暮らしです、

ただ、できれば、多くは望みませぬ

もう少し「やさしさ」が・・・・・見え隠れしてもって

そんな贅沢は、言えやしませんでゲス。

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えっ、もう少し安くならないかしら?って

そんな、つぶらな瞳で哀願されても

ビタ一文、まかりません、

えっ、あと三千円、お安くしてくれたら

嬉しいなぁ、ピアノ弾いて

お聴かせしたい、

もう、こ、今回限りですよ、

んじゃ、三千円・・・・・・

ダ、ダメ、ダメ、

甘いなぁ~

あとで泣いたって、しらないよ。

小僧さん、小僧さんってばぁ~

そんなところで油売って

お店に知れたら・・・知らないよ、

ホント、嬉しそうに食べるんだから~

あ~ぁ

あとで、叱られて泣いたって・・・

「お替りィ~」

まったく、あきれたねぇ~

<新しい文章>

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「昨日八・今日六・明日太郎」の物語。